九州歯科大学と大阪大学歯学部 ―人物往来―
山本 克彦1) 本田 光徳2)
1)九州歯科大学大阪府同窓会(大19)、元大阪大学歯学部講師
2)九州歯科大学大阪府同窓会(県3)、元大阪労災病院口腔外科部長
平成12年(2000)11月に九州歯科大学32期の丹羽 均先生が大阪大学大学院歯学研究科の高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)の二代目教授に就任されました。 九州歯科大学卒業後、大阪大学歯学部で研修し、第二の母校と慕っていた私達にとって非常に感慨深いことでした。 日本の歯学界ではともに伝統校で多くの歯科医師を誕生させ、育ててまいりました。 古くから両校にはひとの交流があったのですが、その記録や報告はみられないようです。 昔のことを覚えておられる先生も少なくなり、また昨今の個人情報保護の風潮で調査が難しくなっていることから、今がその歴史を記憶に留めるいい機会と思い、文献,伝聞,私信、直接取材などの方法で調べましたので、ここに報告させていただきます。
九州歯科大学は、大正3年(1914)私立九州歯科医学校の創立に始まる。 大正10年(1921)に財団法人九州歯科医学専門学校に昇格し、続いて昭和19年(1944)大戦中の国策要請によって医学科を併設して県に移管され、福岡県立医学歯学専門学校となった。 昭和20年(1945)8月の終戦をむかえ、占領軍の行政管理化で教育制度の改革がおこなわれ、昭和22年(1947)医学科は廃止となり、福岡県立歯科医学専門学校と改称された。 尚医学科を中退した5名の方が大阪帝国大学医学部附属医学専門部へ進学されたそうです。 昭和24年(1949)学校教育法に基づく新制大学として福岡県立九州歯科大学が開学し、 最初の入学試験は九州歯科大学、東京医科歯科大学、大阪大学医学部の3箇所で行われた。 平成20年(2008)現在創立95年である。
大阪大学歯学部のルーツは大正15年(1926)大阪府立医科大学に歯科教室が設置され、耳鼻科医だった弓倉 繁家教授が就任されたことに始まる。 昭和6年(1931)大阪府立医科大学は大阪帝国大学医学部となり、総合大学が発足する。 昭和7年(1932)医学部の歯科学講座となり、同時に大阪帝国大学医学部選科に歯科専攻の科が開設され、教官の充実と強化に努めることとなった。 医学部選科は歯科医学専門学校卒業生を対象にし、ドイツ語、英語、歯科学の入学試験があり、医学博士を取得するには選科出身が条件とされていたことから、難関であった。 年限は1年で卒業試験もあり、細菌学、病理学、解剖学の基礎学やドイツ語と臨床実習を医学部の助教授級の方がマンツーマンで徹底的に教育するシステムで今の大学院に相当するかもしれない。 当時歯学あるいは歯科医師の教育は私立の東京歯科医専、日本歯科医専、大阪歯科医専、九州歯科医専、日大専門部歯科と官立の東京高等歯科を含む8校の専門学校に委ねられ、大学レベルのアカデミックな卒後教育は大阪帝大、東京帝大、九州帝大などの医学部の歯科教室が、研究・診療の中心になっていた。 戦後昭和22年(1947)大阪帝国大学は国立総合大学として大阪大学に改められた。 昭和25年(1950)大阪大学医学部歯学科を経て、昭和26年(1951)国立の総合大学で最初の独立した大阪大学歯学部の誕生となった。
そこで九州歯科大学と大阪大学歯学部の人物往来の歴史は戦前の専門学校と戦後の新生大学の二つの時代に大別して記述することにする。
1)九州歯科医学専門学校〜大阪帝国大学医学部選科の時代
ここでは九州歯科医学専門学校を卒業し、最初に大阪府立医科大学歯科教室に入局された先輩諸兄の足跡から著述の第一歩を始めます。 敬称は略させていただきます。
九州歯科医学専門学校から大阪府立医科大学歯科教室への最初の入局者は専門5期の竹田 四郎で昭和4年(1929)だった。 後に京都府立医科大学の口腔外科に移られた。 昭和6年(1931)には専門7期の古賀 要次が入局された。この年には神田 三郎(専門7期)が見学生で在室され、研修後九州歯科医学専門学校の口腔外科に帰られた。 ところで昭和3年(1928)に弓倉教室に短期国内留学された高橋 武雄(専門4期)はその後九州歯科医学専門学校教授:昭和17年1月〜昭和19年4月、福岡県立医学歯学専門学校歯学科教授:昭和20年4月〜昭和21年3月となられ、戦中戦後の苦難な時代に母校の存続にご尽力された。 また同時期に歯科教室に入局された新畑 小一郎は大阪歯科医学専門学校の卒業生で昭和6年4月〜昭和16年12月まで九州歯科医学専門学校の口腔外科教授を務められた。 退官後当時は国内でも非常に珍しい口腔外科専門の歯科医院を京都市で開業された。 京都府歯科医師会の初代会長としても活躍され、京都府の同窓会会員は大変お世話になった。 九州歯科医学専門学校の口腔外科は新畑教授の次が高橋教授と弓倉教室に縁の深い方が続けて就任されたことになります。 また同じ昭和3年歯科教室に入局した湖崎 武熈は日本歯科医学専門学校の出身で昭和7年九州歯科医学専門学校の補綴科の教授になった後、高松市で開業された。
昭和7年からは前述した大阪帝国大学医学部選科を終了後歯科学講座への入局となった。 最初は昭和9年(1934)の選科3回生で九州歯科医学専門学校10期の堀 繁喜だった。 昭和10年(1935)の選科4回は専門11期の山本 勝で、選科修了後入局した弓倉教室はその当時医学部の一講座であったのに、保存・補綴・外科・矯正の4部と25床を有していた。 昭和20年(1945)大阪帝国大学医学部歯科学講座の助手になったが、当時主任教授は弓倉 繁家(後の初代歯学部長)、助教授は永井 巌(第1口腔外科教授)、もう一人の助手は川勝 賢作(第2口腔外科教授)だった。 昭和24年に大阪大学で医学博士を受領し、九州歯科医学専門学校卒で大阪大学での学位取得第一号となった。 昭和13年(1938)選科7回は専門14期の槙野 可代二で、昭和25年(1950)医学部助手、昭和26年(1951)には歯学部歯科保存学講座の助教授、そして昭和36年(1961)和歌山県立医科大学の歯科口腔外科教室の初代教授になられた。 九州歯科医学専門学校卒大阪大学歯学部経由で初めての教授誕生だった。 尚現在の和歌山県立医科大学口腔顎顔面外科学講座教授も九州歯科大学卒京都大学医学部経由の藤田 茂之(大学29期)である。 昭和21年(1946)選科15回は弓倉 敏輝(専門19期)で、昭和26年(1951)大阪大学歯学部助手、昭和31年(1956)第二歯科補綴学講座の助教授になられた。 伊丹市で開業後も外国へたびたび出かけられ研鑽を積まれた。 昭和22年(1947)福岡県立医学歯学専門学校歯学科から最初の選科16回入りは3期の本田 光徳だった。 昭和27年(1952)第一口腔外科学講座助手になり、また開設当初の口腔生理学講座にも参加され、昭和33年(1958)には講師となり、レントゲン室の新設と整備に尽力された。 昭和35年(1960)退官後は四国海部中央病院歯科医長、大阪労災病院歯科口腔外科部長として唇裂・口蓋裂の手術などで業績をあげられた。 昭和24年(1949)選科18回入りは増山 弥太郎(福岡医歯専3期)だった。 昭和28年(1953)第一口腔外科学講座助手、その後永井 巌教室の講師・医局長として活躍され、昭和43年(1968)公立学校共済組合近畿中央病院歯科口腔外科部長となられた。 弓倉、本田、増山先生方には九州歯科大学同窓会の大阪府と兵庫県の会員は大いにご指導とご高配を賜わりました。 昭和26年(1951)選科20回には藤本 泰男(福岡歯専6期)が入られた。 選科は昭和27年(1952)の21回で修了し、昭和28年(1953)からは専攻生として、昭和30年(1955)からは歯学部の各講座への直接入局となった。
2)九州歯科大学〜大阪大学歯学部
大戦後の昭和24年(1949)福岡県立歯科医学専門学校は福岡県立九州歯科大学へと昇格し、一方昭和26年(1951)大阪大学歯学部は医学部歯学科から分離独立した。 大阪大学歯学部誕生時の昭和26年(1951)度の歯科矯正学の講義は九州歯科大学教授の横田 成三が担当された。 昭和35年(1960)崎田 道臣(福岡医歯専3期)が第一口腔外科学講座に入局し、 その後九州歯科大学大阪府同窓会会長として会の発展に努められた。 昭和36年(1961)九州歯科大学8期の生野 重熙は第一歯科補綴学講座に入られた。 大阪市で開業されながら昭和51年(1976)歯科麻酔学講座に移られ、熱心に研修された。
昭和44年(1969)伊地知 忠(大学17期)が第一歯科補綴学講座に入局された。 明石市で開業され、九州歯科大学同窓会近畿・北陸地区連合会の監事をされている。 昭和45年(1970)大学18期の荻野 哲郎は第二口腔外科学講座に入られ、その後丹波市で開業された。 この頃大規模な大学紛争のために、全国各地で入学や卒業試験、資格試験などに多大の影響が生じた。 昭和46年(1971)大学19期の山本 克彦は第一口腔解剖学講座の助手に任官した。 昭和47年(1972)に大学院歯学研究科に入学し、九州歯科大学出身者で最初の大学院生となった。 昭和53年(1978)大阪大学歯学部講師となった。 退官後堺市で歯科医院を継承し、現在九州歯科大学大阪府同窓会会長としてその任に当たっている。 昭和47年(1972)大学19期の岡 幸宏は歯科矯正学講座に入られた後、大阪市で開業された。 大学20期の須田 宜之は第二口腔外科学講座に入局され、後に生化学講座に在籍された。 大阪の中心地梅田で開業後も海外で多くの研鑽を積まれ、後輩の指導もされている。 同期の小野 善弘は第二歯科補綴学講座入局後、別府市での開業を経て、昭和57年ボストンのThe
Institute for Advanced Dental Studiesに留学された。 平成4年(1992)には大阪大学歯学部同窓会主催の第7回国際歯科臨床セミナーで恩師のDr.Myron
Nevins 先生と「ペリオの現在と将来展望」を講演された。 大阪と東京にオフィスを持たれ、歯科医師の卒後研修にも貢献され、日本を代表する臨床家の一人として精力的に活動されている。 昭和48年(1973)大学21期の森本 正樹は第一口腔外科学講座に入局後、三木市で開業された。 同期の阪上 安輝は歯科矯正学講座に入局後、自衛隊病院を経て熊取町で開業された。 昭和49年(1974)守谷 佳樹(大学22期)が第一口腔外科学講座に入局され、その後綾部市で開業された。 九州歯科大学京都府同窓会副会長をされている。 同期の大木 仁子は口腔治療学講座で研修された。 大学16期の松本 護は第二口腔外科学講座に入局された後、西宮市で開業された。 昭和50年(1975)元村 太一郎(大学23期)が大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 専攻は第一口腔外科学で大学院博士課程を修了後、松本歯科大学の講師(口腔外科学)を経て、神戸市で開業された。 大阪大学歯学部の非常勤講師(顎口腔機能治療部)も兼任され、現在九州歯科大学兵庫県同窓会会長を務められている。 昭和51年(1976)北村 幹夫(大学24期)は歯科矯正学講座に入局後、高槻市で開業された。 昭和52年(1977)には歯学部ではないが、大阪大学大学院医学研究科に大学25期の羽地 達次が入学され、微生物病研究所で細菌ウイルス学分野を専攻された。 昭和56年(1981)大阪大学大学院医学研究科終了後、大阪大学微生物病研究所、城西歯科大学助手(口腔解剖学第一講座)、福岡歯科大学講師(口腔生化学講座)、ロックフェラー大学、コロンビア大学への2度の留学を経て、千葉大学医学部助手(解剖学第二講座)となられた。 平成5年(1993)九州歯科大学助教授(口腔解剖学第一講座)で母校に帰任された後、平成11年(1999)徳島大学歯学部教授に就任された。 現在大学院ヘルスバイオサイエンス研究部(口腔組織学分野)を担当され、細胞生物学的研究を精力的に展開されている。 昭和53年(1978)大学26期の濱田 傑は大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 第一口腔外科学を専攻され、大学院を終了後、社会保険紀南総合病院を経て、昭和60年(1985)近畿大学医学部口腔科に赴任された。 その後助手、講師、助教授を務められ、平成19年(2007)近畿大学医学部歯科口腔外科の初代教授に昇任された。 同年10月には「濱田 傑先生教授就任記念祝賀会」が九州歯科大学大阪府同窓会の主催でヒルトン大阪で盛大に開催された。 診療最前線にいる地元の我々同窓会員にとっては、大きな精神的支柱ができたようで、心強いかぎりである。 昭和54年(1979)岡谷 親男(大学27期)が第一口腔外科学講座に入局された。 研修後大阪市で開業され、九州歯科大学大阪府同窓会副会長を務められている。 同期の斉藤 愛夫も第一口腔外科学講座に入られ、後に福井県芦原町で開業し、現在九州歯科大学北陸同窓会会長をされている。 平成21年(2009)から福井県歯科医師会会長就任が決まっている。 昭和55年(1980)今井 一雄(大学28期)は第一口腔外科学講座に入局後、濱田 傑とともに社会保険紀南総合病院歯科口腔外科に赴任された。 退局後高知県赤岡町で開業された。 同期の西本 達哉は大阪大学大学院歯学研究科に入学され、第一口腔解剖学講座に所属された。 昭和59年(1984)大学院終了後歯科臨床を研鑽され、大阪市で開業された。 昭和56年(1981)吉田 裕志(大学29期)は口腔治療学講座に入局後、大阪市で開業された。 同期の川井 満章は第一口腔外科学講座に入局された後、長野県飯田市で開業された。 同期の青木 修一は歯科麻酔学講座に入局後、高槻市で開業された。 昭和57年(1982)黒澤 治彦(大学30期)が第二口腔外科学講座に入局された。 退局後大阪市で開業された。 同期の竹森 哲司は口腔治療学講座入局後、明石市で開業された。 昭和59年(1984)前述した丹羽 均(大学32期)が歯科麻酔学講座に入局された。 平成元年(1989)大阪大学歯学部助手に任官され、平成3年(1991)岩手医科大学歯学部に移られたが、翌年大阪大学に戻られた。 平成5年(1993)大阪大学歯学部付属病院講師になられ、平成10年(1998)大阪大学歯学部助教授(歯科麻酔学講座)に昇任され、平成12年(2000)大阪大学大学院歯学研究科高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)の二代目教授に就任された。 九州歯科大学出身者で最初の大阪大学歯学部教授の誕生となった。 近畿・北陸地区の九州歯科大学同窓会会員ならびに新卒の臨床研修医はよくお世話していただき、大変感謝している。 昭和60年(1985)錦 和彦(大学33期)は口腔治療学講座に入局後、芦屋市で開業された。 同期の竹森 康仁は歯科放射線学講座に入局後、大阪市で開業された。 同じ大阪市で開業されている長崎 林太郎(大学29期)は第一口腔外科学講座に入局された。 昭和61年(1986)米村 幸城(大学34期)は大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 口腔治療学講座に所属され、大学院終了後ワシントン大学留学を経て、姫路市で開業された。 昭和62年(1987)中島 和久(大学35期)は大学院歯学研究科に入学され、生化学講座に所属された。 大学院終了後助手となり、テキサス大学に留学された。 帰国後平成16年(2004)東京医科歯科大学難治疾患研究所で分子薬理学分野のCOE特任講師となられた。 平成18年(2006)COE特認助教授から教授に昇進され、21世紀COEプログラム「歯と骨の分子破壊と再構築のフロンティア」の研究に取り組まれた。 昭和63年(1988)渡井口 賢一(大学36期)は歯科放射線学講座に入局された後、富田林市で開業された。 平成元年(1989)宮崎医科大学歯科口腔外科での研修を終えた佐藤 耕一(大学36期)は大阪大学歯学部顎口腔機能治療部へ入局された。 平成7年(1995)九州歯科大学第一口腔外科学講座助手で帰任された後、平成9年(1997)宮崎医科大学歯科口腔外科に転任され、助手、講師を経て、平成13年(2001)再び母校の第一口腔外科講座の講師として戻られた。平成19年(2007)に済生会松阪総合病院歯科口腔外科部長になられた。 現在大阪大学大学院歯学研究科顎口腔病因病態制御学講座(口腔外科第一教室)の招聘教員として口蓋裂に関する研究活動を継続されている。 野崎 剛徳(大学37期)は口腔治療学講座に入局され、平成9年(1997)IADR/Unilever
Travel Awardを受賞され、医員を経て助教として研究・教育で活躍されている。 平成2年(1990)鎌谷 薫(大学37期)は歯科麻酔学講座に入局された。 平成4年(1992)岩瀬 勝也(大学40期)は歯科補綴学第二講座に入局された。 研究生,医員を経て、平成6年(1994)大阪大学大学院歯学研究科に入学され、歯科補綴学を専攻された。 大学院を修了後平成12年(2000)助手に任官された。 現在宝塚市で開業されている。 仕合 裕(大学40期)は歯科矯正学講座に入局後、亀岡市で開業された。 同期の児玉 裕美子は歯学部附属病院総合診療部に入局された。 平成9年(1997)加島 由紀子(大学45期)は口腔外科学第一講座に入局された。 平成11年(1999)森本 敬祐(大学47期)は歯科麻酔学講座に入局後、淡路市で開業された。
平成12年(2000)4月から大阪大学歯学部は学部講座を主体とする教育・研究組織を改革し、2大専攻、6基幹講座、2協力講座、1連携講座よりなる大学院講座を重点とするいわゆる大学院大学に転換した。 さらに国公立大学は法人化の道を進むことになり、大阪大学は平成16年(2004)国立大学法人に、九州歯科大学は平成18年(2006)から公立大学法人となった。 また平成18年(2006)より全国の歯科大学・歯学部の卒業生の歯科医師臨床研修が必修化され、平成19年(2007)には助教授は准教授に助手は助教へと呼称変更された。 こうして歯科の教育・研究・研修ならびに大学や病院の運営に大変革の波がもたらされることになった。
平成12年(2000)谷川 千尋(大学48期)は大阪大学大学院歯学研究科に入学され、分子病態口腔科学(顎顔面口腔矯正学)を専攻された。 在学中に権威あるIADR(国際歯科学研究学会)における若手研究者を顕彰するための賞であるIADR
Hatton Award本選の日本代表に選ばれた。 大学院終了後医員を経て口腔分化発育情報学講座(顎顔面口腔矯正学教室)の助教に就任された。 現在海外留学中である。 平成13年(2001)宇野 史子(大学29期)は歯科麻酔学講座に入局された。 松原市で開業されながら、大阪労災病院で研修を続けられている。 大学49期の安川(長谷川)陽子は大学院歯学研究科に入学され、統合機能口腔科学を専攻された。 大学院終了後は顎口腔機能再建学講座(歯科補綴学第二教室)に所属され、歯学部付属病院の咀嚼障害補綴科の医員を勤められている。 平成14年(2002)渡邉 彰代(大学50期)は高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)に入局された。 大阪府立母子保健総合医療センター レジデント勤務を経て、現在堺市重度障害者歯科診療所に出向されている。 大学50期の江原 美奈は口腔分子免疫制御学講座(予防歯科学教室)に入局された。 森本 佳成(大学34期)は奈良県立医科大学口腔外科学講座の助手から大阪大学大学歯学部附属病院歯科麻酔科の講師になられた。 昭和61年(1986)九州歯科大学卒業後奈良県立医科大学口腔外科、島根医科大学麻酔科で研修された。 平成9年(1997)奈良県立医科大学助手(口腔外科)在職中に奈良県在外研究員として、University
of Detoroit Mercy および St. Clare's Hospital(New York)へ留学された。 原田 英光(大学35期)は九州歯科大学助教授(口腔解剖学第二講座)から大阪大学大学院歯学研究科口腔分化発育情報学講座(口腔解剖学第一教室)の助教授になられた。 彼は昭和62年(1987)大学卒業後九州大学大学院歯学研究科(口腔外科学)に進学され、単位獲得後九州大学付属病院医員、日本学術振興会特別研究員を経て、母校の口腔解剖学第二講座にて助手、講師、助教授になられた。 平成10年(1998)ヘルシンキ大学生物工学研究所発生生物学部門に客員研究員として留学された。 平成18年(2006)岩手医科大学歯学部口腔解剖学第二講座教授に就任され、発生生物学や歯科再生医療の分野で活躍されている。 平成16年(2004)一森 康男(大学50期)は熊本大学医学部口腔外科で2年間研修後、大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 口腔分化発育情報学講座(口腔解剖学第一教室)に所属され、分子病態口腔科学(口腔解剖学)を専攻された。 新宅 優子(大学52期)は大阪大学歯学部附属病院で研修後、平成17年(2005)大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 口腔分化発育情報学講座(顎顔面口腔矯正学教室)に入局し、分子病態口腔科学(顎顔面口腔矯正学)を専攻された。 柳川 恵(大学52期)は口腔分子感染制御学講座(小児歯科学教室)に入局された。 大山口 藍子(大学52期)は大阪大学附属病院で研修医を終了後、高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)に入局され、医員を経て、平成19年(2007)大阪大学大学院歯学研究科に入学され、顎口腔先端麻酔学を専攻された。 平成17年(2005)富田 世紀(大学53期)は大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 口腔分化発育情報学講座(歯科放射線学教室)に所属され、分子病態口腔科学(顎口腔先端放射線学)を専攻された。 同期の内田 昌範は大阪大学大学院歯学研究科に進学された。 顎口腔機能再建学講座(歯科補綴学第一教室)に入局され、統合機能口腔科学(顎口腔咬合学)を専攻された。 谷口 優子(大学53期)は高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)に入局された。 同期の徳田 信吾は顎口腔病因病態制御学講座(口腔外科学第二教室)に入局された。 重永(志田)奈緒子(大学53期)は大阪大学附属病院で研修医を終了後、平成18年(2006)大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 口腔分化発育情報学講座(顎顔面口腔矯正学教室)に所属され、分子病態口腔科学(顎顔面口腔矯正学)を専攻された。 平成18年(2006)辻 卓朗(大学54期)は顎口腔病因病態制御学講座(口腔外科学第一教室)に入局研修された。 同期の東江 正裕は大阪大学歯学部附属病院で1年間臨床研修医をされた後に、 平成19年(2007)大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 口腔分子免疫制御学講座(予防歯科学教室)に入局され、分子病態口腔科学(予防歯科学)を専攻された。 調査を終えた平成20年(2008)には大阪大学大学院歯学研究科の研究発表会で前述した新宅 優子、内田 昌範、富田 世紀の九州歯科大学出身者が3名も同時に学位を申請するという嬉しい事態が招来した。
本論では昭和4年(1929)から平成18年(2006)までの78年にわたる九州歯科大学と大阪大学歯学部の人物往来史が述べられた。 両大学が長期にわたって信頼される歯科医師達を育成してきた事に敬意を表すると共に、 私達が両大学で学べたことに感謝し、今後のさらなる歴史の積み重ねを祈念して本稿を閉じることにする。
謝辞
調査にご協力いただいた九州歯科大学同窓会近畿・北陸地区連合会の会員の皆様に厚く御礼を申し上げます。 また多くの貴重なご助言をいただいた九州歯科大学口腔組織機能解析学講座教授豊島 邦昭先生と大阪大学大学院歯学研究科高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)教授丹羽 均先生ならびに口腔分化発育情報学講座(口腔解剖学第一教室)教授脇坂 聡先生に心より謝意を表します。
参考文献
1)大阪大学歯学部十周年記念誌編集委員会:大阪大学歯学部十周年記念誌.1960.
2)九州歯科大学五十年史編史委員会:九州歯科大学五十年史.1967.
3)川勝 賢作:私の歩んだ口腔外科40年の喜び.歯界展望:50、2、1977.
4)大阪大学歯学部同窓会:大阪大学歯学部同窓会記念会館完成記念誌.1983.
5)九州歯科大学同窓会八十年史編纂臨時委員会:九州歯科大学同窓会八十年史.2007.
6)嶋村 昭辰:私の創設期九州歯科大学史とくに、大学創立記念日を中心に.九州歯科大学同窓会報:72、53−59.2007.
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