大阪大学歯学部と九州歯科大学 ―人物往来―
堺市開業 山本 克彦(昭和47年入)
名誉会員 本田 光徳(昭和22年入)
平成12年(2000)九州歯科大学出身の丹羽 均先生が大阪大学大学院歯学研究科の高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)の二代目教授に就任されました。 九州歯科大学卒業後、大阪大学歯学部で研修し、第二の母校と慕っていた私達にとって非常に感慨深いことでした。 日本の歯学界ではともに伝統校で多くの歯科医師を誕生させ、育ててまいりました。 古くから両校にはひとの交流があったのですが、その記録や報告はみられないようです。 昔のことを覚えておられる先生も少なくなり、また昨今の個人情報保護の風潮で調査が難しくなっていることから、今がその歴史を記憶に留めるいい機会と思い、文献,伝聞,私信、直接取材などの方法で調べました。
ここではその概要について報告させていただきます。尚敬称は略させていただきます。
大阪大学歯学部のルーツは大学令による最初の公立大学である大阪府立医科大学に大正15年(1926)歯科教室が設置され、耳鼻科医だった弓倉 繁家教授が就任されたことに始まる。 昭和6年(1931)大阪府立医科大学は大阪帝国大学医学部となり、総合大学が発足する。 昭和7年(1932)医学部の歯科学講座となり、同時に大阪帝国大学医学部選科に歯科専攻の科が開設され、教官の充実と強化に努めることとなった。 当時の弓倉教室は保存・補綴・外科・矯正の4部と25床を有していた。 また医学部選科は歯科医学専門学校卒業生を対象にし、ドイツ語、英語、歯科学の入学試験があり、医学博士を取得するには選科出身が条件とされていたことから、難関であった。 年限は1年で卒業試験もあり、細菌学、病理学、解剖学の基礎学やドイツ語と臨床実習を医学部の助教授級の方がマンツーマンで徹底的に教育するシステムで今の大学院に相当するかもしれない。 その頃歯学あるいは歯科医師の教育は私立の東京歯科医専、日本歯科医専、大阪歯科医専、九州歯科医専、日大専門部歯科と官立の東京高等歯科を含む8校の専門学校に委ねられ、大学レベルのアカデミックな卒後教育は大阪帝大、東京帝大、九州帝大、慶応大などの医学部の歯科教室が、研究・診療の中心になっていた。 戦後昭和22年(1947)大阪帝国大学は国立総合大学として大阪大学に改められた。 昭和25年(1950)大阪大学医学部歯学科を経て、昭和26年(1951)国立の総合大学で最初の独立した大阪大学歯学部の誕生となった。
九州歯科大学は、大正3年(1914)私立九州歯科医学校の創立に始まる。 大正10年(1921)に財団法人九州歯科医学専門学校に昇格した。 日本人歯科医師第一号の小幡 英之助は晩年郷里に近い九州歯科医学専門学校教授に就任された。 昭和19年(1944)大戦中の国策要請によって医学科を併設して県に移管され、福岡県立医学歯学専門学校となった。 昭和20年(1945)8月の終戦をむかえ、占領軍の行政管理化で教育制度の改革がおこなわれ、昭和22年(1947)医学科は廃止となり、福岡県立歯科医学専門学校と改称された。 尚医学科を中退した5名の方は大阪帝国大学医学部附属医学専門部へ進学されたそうです。 昭和24年(1949)学校教育法に基づく新制大学として福岡県立九州歯科大学が開学し、最初の入学試験は九州歯科大学、東京医科歯科大学、大阪大学医学部の3箇所で行われた。
最初のひとの交流は昭和3年(1928)高橋 武雄が大阪府立医科大学歯科教室へ短期国内留学したことに始まる。 帰学後九州歯科医学専門学校教授:昭和17年〜19年、福岡県立医学歯学専門学校歯学科教授:昭和20年〜21年となられ、戦中戦後の苦難な時代に学校の存続にご尽力された。 九州歯科医学専門学校を卒後大阪府立医科大学歯科教室への最初の入局者は竹田 四郎で昭和4年(1929)だった。 また昭和3年(1928)に弓倉教室に入局された新畑 小一郎は大阪歯科医学専門学校の卒業生で昭和6年〜16年まで九州歯科医学専門学校の口腔外科教授を務められた。 退官後当時は国内でも非常に珍しい口腔外科専門の歯科医院を京都市で開業され、京都府歯科医師会の初代会長としても活躍された。 九州歯科医学専門学校の口腔外科は新畑教授の次が前述の高橋教授と弓倉教室に縁の深い方が続けて就任されたことになります。 また同じ昭和3年歯科教室に入局した湖崎 武熈は日本歯科医学専門学校の出身で昭和7年九州歯科医学専門学校の補綴科の教授になられた後、高松市で開業された。
昭和7年からは大阪帝国大学医学部選科を終了後歯科学講座への入局となった。 最初は昭和9年(1934)選科3回の堀 繁喜だった。 昭和10年(1935)選科4回は山本 勝で、昭和20年(1945)大阪帝国大学医学部歯科学講座の助手になったが、当時主任教授は弓倉 繁家(後の初代歯学部長)、助教授は永井 巌(第1口腔外科教授)、もう一人の助手は川勝 賢作(第2口腔外科教授)だった。 昭和24年(1949)に大阪大学で医学博士を受領し、九州歯科医学専門学校卒で大阪大学での学位取得第一号となった。 昭和13年(1938)選科7回は槙野 可代二で、医学部助手、歯学部歯科保存学講座助教授を経て、昭和36年(1961)和歌山県立医科大学の歯科口腔外科教室の初代教授になられた。 九州歯科医学専門学校卒大阪大学歯学部経由で初めての教授誕生だった。 昭和21年(1946)選科15回は弓倉 敏輝で、大阪大学歯学部助手から昭和31年(1956)第二歯科補綴学講座の助教授になられた。 伊丹市で開業後も外国へたびたび出かけられ研鑽を積まれた。 昭和22年(1947)福岡県立医学歯学専門学校歯学科から最初の選科16回は本田 光徳だった。 第一口腔外科学講座助手になり、また開設当初の口腔生理学講座にも参加され、昭和33年(1958)には講師となり、レントゲン室の新設と整備に尽力された。 退官後は四国海部中央病院歯科医長、大阪労災病院歯科口腔外科部長として唇裂・口蓋裂の手術などで業績をあげられた。 昭和24年(1949)選科18回は増山 弥太郎だった。 第一口腔外科学講座助手、その後永井 巌教室の講師・医局長として活躍され、昭和43年(1968)公立学校共済組合近畿中央病院歯科口腔外科部長となられた。 選科は昭和27年(1952)の21回で修了し、昭和28年(1953)からは専攻生として、昭和30年(1955)からは歯学部の各講座への直接入局となった。
大戦後の昭和24年(1949)福岡県立歯科医学専門学校は福岡県立九州歯科大学へと昇格し、一方昭和26年(1951)大阪大学歯学部は医学部歯学科から分離独立した。 大阪大学歯学部誕生時の歯科矯正学の講義は九州歯科大学教授の横田 成三が担当された。 昭和36年(1961)生野 重熙は第一歯科補綴学講座に入局された。 大阪市で開業されながら昭和51年(1976)歯科麻酔学講座に移られ、熱心に研修された。 昭和47年(1972)山本 克彦は大阪大学大学院歯学研究科に入学し、九州歯科大学出身者で最初の大学院生となった。 専攻は第一口腔解剖で昭和53年(1978)大阪大学歯学部講師となり、退官後堺市で開業された。 須田 宜之は第二口腔外科学講座に入局され、後に生化学講座に在籍された。 大阪の中心地梅田で開業後も海外で多くの研鑽を積まれ、後輩の指導もされている。 同期の小野 善弘は第二歯科補綴学講座入局後、別府市での開業を経て、昭和57年ボストンのThe
Institute for Advanced Dental Studiesに留学された。 平成4年(1992)には大阪大学歯学部同窓会主催の第7回国際歯科臨床セミナーで恩師のDr.Myron
Nevins 先生と「ペリオの現在と将来展望」を講演された。 大阪と東京にオフィスを持たれ、歯科医師の卒後研修にも貢献され、日本を代表する臨床家の一人として精力的に活動されている。 昭和50年(1975)元村 太一郎が大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 専攻は第一口腔外科学で大学院博士課程を修了後、松本歯科大学の講師(口腔外科学)を経て、神戸市で開業された。 大阪大学歯学部の非常勤講師(顎口腔機能治療部)も兼任された。 昭和52年(1977)には歯学部ではないが、大阪大学大学院医学研究科に羽地 達次が入学され、微生物病研究所で細菌ウイルス学分野を専攻された。 九州歯科大学助教授(口腔解剖学第一講座)で母校に帰任された後、平成11年(1999)徳島大学歯学部教授に就任された。 昭和53年(1978)濱田 傑は大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 第一口腔外科学を専攻され、大学院を終了後、社会保険紀南総合病院を経て、近畿大学医学部口腔科に赴任された。 その後助手、講師、助教授を務められ、平成19年(2007)近畿大学医学部歯科口腔外科の初代教授に昇任された。 九州歯科大学卒大阪大学歯学部経由で2人目の教授となられた。 昭和54年(1979)第一口腔外科学講座に入られた岡谷 親男は大阪市で開業された。 また斉藤 愛夫は退局後福井県芦原町で開業され、平成21年(2009)から福井県歯科医師会会長就任が決まっている。 西本 達哉は昭和55年(1980)大阪大学大学院歯学研究科に入学され、第一口腔解剖学講座に所属された。 大学院終了後大阪市で開業された。 昭和59年(1984)前述した丹羽 均が歯科麻酔学講座に入局された。 大阪大学歯学部助手に任官後、岩手医科大学歯学部に移られた。 帰学後大阪大学歯学部付属病院講師、歯学部助教授を経て平成12年(2000)大阪大学大学院歯学研究科高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)の二代目教授に就任された。 九州歯科大学出身者で最初の大阪大学歯学部教授の誕生となった。 昭和61年(1986)米村 幸城は大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 口腔治療学講座に所属され、大学院終了後ワシントン大学留学を経て、姫路市で開業された。 この頃までの入局者は大阪大学歯学部同窓会に入会をさせていただき、第二の母校を慕える喜びに感謝する次第である。
昭和62年(1987)中島 和久は大学院歯学研究科に入学され、生化学講座に所属された。 大学院終了後助手となり、テキサス大学に留学された。 帰国後東京医科歯科大学難治疾患研究所で分子薬理学分野のCOE特任講師、助教授を経て、平成18年(2006)COE特任教授に昇進された。 平成元年(1989)佐藤 耕一は大阪大学歯学部顎口腔機能治療部へ入局された。 九州歯科大学第一口腔外科学講座助手で帰任された後、宮崎医科大学歯科口腔外科助手、講師、再び母校の講師として戻られた。 平成19年(2007)に済生会松阪総合病院歯科口腔外科部長になられ、現在大阪大学大学院歯学研究科顎口腔病因病態制御学講座(口腔外科第一教室)の招聘教員として口蓋裂に関する研究活動を継続されている。 野崎 剛徳は口腔治療学講座に入局され、平成9年(1997)IADR/Unilever
Travel Awardを受賞され、医員を経て助教として研究・教育で活躍されている。 平成4年(1992)岩瀬 勝也は歯科補綴学第二講座に入局され、研究生,医員を経て、大阪大学大学院歯学研究科に入学された。 助手に任官後宝塚市で開業された。
平成12年(2000)4月から大阪大学歯学部は学部講座を主体とする教育・研究組織を改革し、2大専攻、6基幹講座、2協力講座、1連携講座よりなる大学院講座を重点とするいわゆる大学院大学に転換した。 さらに国公立大学は法人化の道を進むことになり、大阪大学は平成16年(2004)国立大学法人に、九州歯科大学は平成18年(2006)から公立大学法人となった。 また平成18年(2006)より全国の歯科大学・歯学部の卒業生の歯科医師臨床研修が必修化され、平成19年(2007)には助教授は准教授に助手は助教へと呼称変更された。 こうして歯科の教育・研究・研修ならびに大学や病院の運営に大変革の波がもたらされることになった。
平成12年(2000)谷川 千尋は大阪大学大学院歯学研究科に入学され、分子病態口腔科学(顎顔面口腔矯正学)を専攻された。 在学中に権威あるIADR(国際歯科学研究学会)のIADR
Hatton Award本選の日本代表に選ばれた。 大学院終了後医員を経て口腔分化発育情報学講座(顎顔面口腔矯正学教室)の助教に就任された。 現在海外留学中である。 平成13年(2002)安川(長谷川)陽子は大学院歯学研究科に入学され、統合機能口腔科学を専攻された。 大学院終了後は顎口腔機能再建学講座(歯科補綴学第二教室)に所属され、歯学部付属病院の咀嚼障害補綴科の医員を勤められている。 平成14年(2002)渡邉 彰代は高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)に入局された。 大阪府立母子保健総合医療センター レジデント勤務を経て、現在堺市重度障害者歯科診療所に出向されている。 同年森本 佳成は奈良県立医科大学口腔外科学講座の助手から大阪大学大学歯学部附属病院歯科麻酔科の講師になられた。 大学卒業後奈良県立医科大学口腔外科、島根医科大学麻酔科で研修後、平成9年(1997)奈良県立医科大学助手(口腔外科)在職中に奈良県在外研究員として、University
of Detoroit Mercy および St. Clare's Hospital(New York)へ留学された。 また原田 英光は九州歯科大学助教授(口腔解剖学第二講座)から大阪大学大学院歯学研究科口腔分化発育情報学講座(口腔解剖学第一教室)の助教授になられた。 大学卒業後九州大学大学院歯学研究科(口腔外科学)に進学され、単位獲得後母校の口腔解剖学第二講座にて助手、講師、助教授になられた。 平成10年(1998)ヘルシンキ大学生物工学研究所発生生物学部門に客員研究員として留学された。 平成18年(2006)岩手医科大学歯学部口腔解剖学第二講座教授に就任され、発生生物学や歯科再生医療の分野で活躍されている。 九州歯科大学卒大阪大学歯学部経由で4人目の教授誕生である。
平成18年(2006)現在一森 康男は口腔分化発育情報学講座(口腔解剖学第一教室)に所属され、大阪大学大学院歯学研究科分子病態口腔科学(口腔解剖学)を専攻されている。 口腔分化発育情報学講座(顎顔面口腔矯正学教室)には、大学院生として新宅 優子、重永(志田)奈緒子が所属され、分子病態口腔科学(顎顔面口腔矯正学)を専攻されている。 高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)で大山口 藍子が医員、社会人大学院生として、顎口腔先端麻酔学を専攻されている。 富田 世紀は大学院生として口腔分化発育情報学講座(歯科放射線学教室)に所属され、分子病態口腔科学(顎口腔先端放射線学)を専攻されている。 内田 昌範は顎口腔機能再建学講座(歯科補綴学第一教室)に入局され、大学院生として統合機能口腔科学(顎口腔咬合学)を専攻されている。 東江 正裕は口腔分子免疫制御学講座(予防歯科学教室)に入局され、大学院生として分子病態口腔科学(予防歯科学)を専攻されている。 新研修制度となり、以前にも増して九州歯科大学卒業後の若い先生方が大阪大学歯学部で研鑽を積ましていただいているようである。
本論では昭和3年(1928)から平成18年(2006)までの78年にわたる九州歯科大学と大阪大学歯学部の人物往来史の概略が述べられた。 両大学が長期にわたって信頼される歯科医師達を育成してきた事に敬意を表すると共に、私達が両大学で学べたことに感謝し、今後のさらなる歴史の積み重ねを祈念して本稿を閉じることにする。
謝辞
多くの貴重なご助言をいただいた九州歯科大学口腔組織機能解析学講座教授豊島 邦昭先生と大阪大学大学院歯学研究科高次脳口腔機能学講座(歯科麻酔学教室)教授丹羽 均先生ならびに口腔分化発育情報学講座(口腔解剖学第一教室)教授脇坂 聡先生に心より謝意を表します。
参考文献
1) 大阪大学歯学部十周年記念誌編集委員会:大阪大学歯学部十周年記念誌.1960.
2) 川勝 賢作:私の歩んだ口腔外科40年の喜び.歯界展望:50、2、1977.
3) 大阪大学歯学部同窓会:大阪大学歯学部同窓会記念会館完成記念誌.1983.
4) 九州歯科大学同窓会八十年史編纂臨時委員会:九州歯科大学同窓会八十年史.2007.
5) 嶋村 昭辰:私の創設期九州歯科大学史とくに、大学創立記念日を中心に.九州歯科大学同窓会報:72、53−59.2007.
6) 山本 克彦、本田 光徳:九州歯科大学と大阪大学歯学部―人物往来―.
九州歯科大学同窓会報:76、68−73.2009.
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